大阪高低差学会・2016 秋のフィールドワーク「大阪夏の陣・道明寺の戦いの地形を歩く」

20:20

大坂夏の陣
道明寺の戦いの地形を歩く

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秋のフィールドワークのコースです。赤→橙→黄の順番で歩きます。道明寺天満宮に2回立ち寄るのでそこでトイレ休憩を入れますね。

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今回配布予定の凸凹地図です。当日まで日にちがあるので手を加えるかも。

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道明寺の戦いは、午前と午後で戦いの場所が変わりました。地形を歩きながら当時の激戦をイメージしていただければ幸いです。布陣図はウィキペディアを参考にしています。ところで、大坂夏の陣の道明寺の戦いをご存知でしょうか。ここで簡単に解説しておきます。

大坂夏の陣「道明寺の合戦」とは

豊臣方、徳川方の最後の決戦が始まった慶長20年(1615年)泉南地方や八尾・若江など各地で大きな戦が繰り広げられていた。その中でも、大坂の関ヶ原とも言われる激戦が繰り広げられたのが、この「道明寺の合戦」である。
慶長20年5月6日の未明、大坂城を出た「後藤又兵衛基次(もとつぐ)」は、徳川方の出鼻をくじくため河内国分へと2800の兵を進めた。
道明寺についた又兵衛は、石川を渡り小松山に上り河内国分を見下ろすと、そこにはすでに数万の徳川軍が集結を終えていた。かまわず果敢に戦いを挑んだ又兵衛は、「奥田忠次三郎右衛門」を討取るなどの戦果をあげたが多勢に無勢。8時間にわたる激闘の末、「水野勝成」や「伊達政宗」の軍勢に圧されて自刃、隊は壊滅した。勢いづいた徳川軍は、石川を渡って道明寺へ進軍。
そこへ、遅れて到着した「薄田隼人正兼相(すすきだはやとのしょうかねすけ)」や「明石全登(あかしたけのり)」が迎え撃つも徳川勢の勢いは止まらず薄田隼人は善戦空しく討死。
いよいよ崩れかけた豊臣方を立て直したのが「真田信繁」であった。信繁は、誉田八幡宮付近に布陣。これには伊達政宗の武将「片倉重長」が盛んに攻め立て両者相譲らず、戦いは膠着した。
そこに届いたのが、八尾・若江の戦線で、豊臣方の防衛が突破されたとの知らせがあった。この知らせを受け、戦場を縮小し大坂城の守りに転ずべしとの「毛利勝永」の采配で、戦の舞台は道明寺から天王寺へと移された。その際、殿軍を務めた信繁は、「関東勢百万と候え、男は一人もなく候」と徳川軍を嘲笑しながら悠然と立ち去ったと言われている。翌5月7日、「真田信繁」は、討死、大坂城は陥落した。(道明寺駅前の解説より)

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午後の戦いをカシバードでみるとこんな感じ。段丘の上と下とで分かれて戦ったのだと想像できますね。徳川方の足下は低湿地で戦いにくかったのかもしれないな…

さて、
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集合場所の「土師ノ里」駅横の広場です。

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允恭天皇陵の北側は崖が続いています。

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段丘崖の高低差を愛でながら歩きますよ。

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国府(こう)遺跡。何もない原っぱですが、ここは旧石器時代から人が暮らしていた場所。段丘の上にあることを感じながら歩くと楽しいかも…

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宮の南塚古墳です。宮内庁の管轄なので入れません。

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段丘の東側の高低差です。

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この辺りでも徳川方の豊臣方の戦いがあったのかもしれません。

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この道は東高野街道。京都から生駒山地の西の麓を通って古市、富田林、河内長野へ繋がる南北に走る街道です。

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道明寺天満宮です。ここで2回休憩を取ります。

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ちなみにこれがトイレ。結構きれいでした。

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境内にある修羅の復元。三ツ塚古墳から出土した大小2基の修羅の大きい方です。古墳を造るときに巨大な石を運ぶためのソリですね。

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こちらは道明寺。元は土師氏の氏寺である土師寺。土師氏はのちに菅原の姓になりますが、菅原道真の号である「道明」にちなんで、道明寺と改められました。

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再び土師ノ里駅の前を通り鍋塚古墳の上から眺めます。

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神社の境内を横切る近鉄電車。この鳥居もくぐります。

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そして、古室山古墳の上へ。結構高いですが、眺めはいいので天気がよければハルカスも見えます。正面にちっちゃく見えるやつです。

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この辺りの古墳は段丘に沿って作られていますが、この下を誉田断層が通っています。地形の高低差を見ながら移動。

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高速道路の下にある赤面山古墳。国の史跡でもあります。

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道明寺天満宮で2回目の休憩の後、いよいよ小松山へ向かいます。その前に、道明寺駅前にある道明寺合戦記念碑。

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登録有形文化財の玉手橋を渡ります。

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玉手山公園の中へ。実はここから結構上りです。

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上りきった広場に後藤又兵衛基次の碑。豊臣方の先鋒として小松山で水野勝成、本多忠政、松平忠明、伊達政宗ら2万の軍勢と戦いました。奥田忠次を討ち取るなど、孤軍奮戦しましたがこの地で討死しています。

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玉手山7号墳の後円部頂上に建つ大坂夏の陣戦没者供養塔。

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ちょっと寄り道で谷地形に入っていきます。

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谷の斜面を利用した安福寺横穴群はぜひ見ておきたい。

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そして大坂夏之陣 小松山古戦場跡の碑にやってきました。玉手山1号墳と2号墳の間にあります。

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1号墳の上には徳川方の武将・奥田忠次三郎右衛門の墓があります。

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ここから南側を見ると、墓石が密集しているのが2号墳でその左奥の白い建物がある奥に3号墳があります。この辺りで後藤又兵衛率いる2800の兵と徳川方の2万の兵が戦ったのでしょうね。

道明寺周辺は地形の起伏に富んだエリアです。
地形を知った上で歴史を見ていくと、いままでとは違う風景がイメージできるかもしれませんね。

※ フィールドワークの参加募集は締切らせていただきました。ご了承ください。


(追記)
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後藤又兵衛基次といえば、あの「又兵衛桜」を思い出される方もいらっしゃるのではないでしょうか。後藤家の屋敷跡に今も残る樹齢300年といわれるしだれ桜です。

後藤又兵衛基次は生き延びたという伝説も残っています。ブログ内の解説板を参照ください。
奈良・宇陀の又兵衛桜十三のいま昔を歩こう

(数年前に微速度撮影をした時の映像です)




大阪高低差学会・2016 秋のフィールドワーク(道明寺)

21:16

道明寺は歴史もすごいが
地形も結構おもしろい!…


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2016秋のフィールドワークのお知らせです。
今回も上町台地を離れ、河内国 道明寺(どうみょうじ)周辺を歩きます。この地は、大坂夏の陣の激戦地として語り継がれているエリアですが、歴史的に見ても旧石器時代から人々が営んでいた痕跡が残る国府遺跡や大型の古墳が点在するエリア。今回は、前半は河岸段丘の高低差や古墳の上にのぼったりして人工的な地形の高低差を楽しみ、後半は激戦地であった小松山に向かいます。

開催日時:10/29(土)雨天決行(ただし悪天候の場合は中止)
集合場所:近鉄「土師ノ里」駅前
集合時間:12時30分(16時30分頃 近鉄「河内国分」駅で解散予定)
参加費:300円(記念缶バッチ+大阪高低差学会古墳部缶バッチ+凸凹地図+保険料)中学生以下は150円。
定員:50名くらい

※ 懇親会も考えていますが、大人数が入れる場所がないので臨機応変に現場対応しようかと思っています。ご了承ください。
※ トイレ休憩は道明寺天満宮に2回立ち寄ります。
※ 前回の反省(歩く距離が長過ぎました…)もこめ、誉田八幡宮に立ち寄ると3万歩をこえるので断念しました。今回は2万歩くらいかな…

参加希望の方はfacebookのイベントで「参加予定」をポチッとしてください。
会員でない方も大歓迎!
申し込みは↓こちら

https://www.facebook.com/events/1244093242319028/

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松江歴史館「真田丸」絵図で真田丸を探せ

09:00

先日、松江市で「真田丸」の最古絵図が発見されたというニュースが大きく報道されましたね。( 毎日新聞産経新聞NHKキャプチャー( 毎日産経NHK
昨年も、「浅野文庫所蔵 諸国当城之図」の「真田丸(摂津)」が話題になりましたが、それよりも古い絵図だということで、とても興味深いです。とりあえず我々的には凸凹地図に重ねたらどうなるのかを知りたい。ということで、早速重ねてみました。

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左が新発見の絵図。右が「浅野文庫所蔵 諸国当城之図」の「真田丸(摂津)」です。

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「真田丸(摂津)」の絵図は、1753年とされていましたが、今回の絵図は、元禄年間(1688〜1704)のもののようです。

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浅野文庫所蔵の真田丸に良く似ていますが、北側の曲輪部分や東側の斜面と堀との関係の描写が違う。文字も、曲輪部分には「出丸」とあり、南側の堀には「惣構堀」と書かれています。

大阪城の南惣構堀は、真田丸の北側の谷にあったと考えられるのですが、真田丸の南側の堀にもその惣構堀の名前が使われていたのはちょっと意外でした。

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さて、この地形図は、カシミール3Dで等高線(1m間隔)のみを表記したものです。心眼寺と三光神社は目印です。かつて、北側の谷地形を利用して豊臣大坂城の南惣構堀がありました。

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絵図を重ねてみます。

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透過させるとこんな感じでしょうか。心眼寺の前の道と裏側の斜面を目安に重ねています。西側の斜面も地形に沿って重ねることが出来ましたが、南側の堀はそれらしい地形が見当たりません。完全に埋められたのでしょう。

「新撰増補堂社仏閣絵入諸大名御屋敷新校正大坂大絵図(1691)/国際日本文化研究センター」
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この古地図は1691年のものですが、「真田 曲輪」の文字がわかりますでしょうか。それらしい遺構が残っていたのかもしれませんね。

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これは、明治時代の大阪実測図を重ねています。

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それに重ねるとこのようになります。

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ちなみに現在の地図と重ねるとこのような位置関係。

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航空写真と重ねるとこのようになります。

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地形図を抜くとこのような場所。大阪明星学園のグランドが真田丸と重なります。

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絵図の位置がわかりやすいようにネガにして重ねてみました。

どうでしょうか。
あくまでも、私の感覚で重ねていますので、参考程度にしていただければと思いますが、今回の絵図も現在の地形と重なる部分が多いように思いました。今後、専門の先生方の検証もはじまるかと思います。ますます楽しみなエリアになってきましたね。

(追記)
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町歩きの目安に現在の地図と重ねた地図もアップしておきます。



(関連記事)
春のフィールドワーク・真田丸と南惣構堀の高低差2015.04.21
(募集告知)真田丸の高低差を歩く!大阪高低差学会・春のフィールドワーク2015.03.26


上町台地の湧水地にガマの季節がやってきた

00:25

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『大阪「高低差」地形散歩』でも紹介していますが、上町台地で唯一湧水が確認できる東天下茶屋の崖にやってきました。

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この場所は、目的地の近くで、崖下の建物が解体されて石積みの擁壁が広いエリアで確認できる場所。

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ここからもかなり勢い良く水が流れています。湧水なのか、水道管の破損なのかは不明。

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いまのところ工事が始まる様子はまだありませんが、

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建物が建つと隠れてしまう崖ですので今がチャンス。

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さて、目的の崖に来ました。

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手前の建物は解体中で、工事が始まるかもしれません。

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奥にある敷地が湧水によって湿地帯になっているエリアです。こちらも業者さんが土地を購入したようなので、近々開発が始まるかもしれません。

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下に下りてきましたが、相変わらず水がちょろちょと流れています。

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以前はもっと水が湧いていたように思いますが、天候の加減かも。

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隣の敷地の崖の隙間からも水が湧いているのが確認できます。

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今の季節は、植物が伸び放題。

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ただ、乾いた土地ではなく湿地帯なのでヨシが群生している事がよくわかります。

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ガマ類も確認できる。

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この場所では、ヒメガマとガマとコガマの3種類のガマが確認できるようですが、コガマとガマは大阪市内ではほとんど見ることが出きず、特にコガマは「大阪府レッドリスト2014」で準絶滅危惧種になっています。

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これは、ヒメガマだろうか?

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この大ぶりなのがガマかな。

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トンボも飛んでくる。

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ちょうどガマ類はいまが見頃です。

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もしかすると、来年の今頃は開発によってなくなっているかもしれないので、記録としてブログに残しておこうと思います。


【地形本】凹凸を楽しむ 大阪「高低差」地形散歩

19:00

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【お知らせ】
『凹凸を楽しむ 大阪「高低差」地形散歩』が5月27日(金)に発売されます。表紙を見てお気づきの方も多いかと思いますが、東京スリバチ学会会長・皆川典久氏の著書『凹凸を楽しむ 東京「スリバチ」地形散歩』シリーズと同じ洋泉社からの出版です。地図の作製も同じく杉浦貴美子さんで、とても素敵な地図になっています。

下記の広域地図を見ていただくとわかるように、上町台地の高低差はもちろん、道頓堀や十三などの低地にもスポットを当てています。さらに、生駒山麓エリアや千里丘陵、伊丹段丘の一部も取り上げました。もっと紹介したいエリアは数多くあるのですが、苦渋の選択です。

(※画像は完成品と異なる場合があります)
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(目次)

Ⅰ 大阪の地形の魅力 高低差概論

1 砂州の上にできた大阪
東京と大阪の地形/海の底だった大阪/潮流の難所だった難波/
地名に隠された土地の記憶/古代大阪は先端土木都市

2 母なる上町台地の記憶

上町台地と上町断層/ヤマト政権の外港と官道/埋もれた幻の難波宮/
消えた上町台地の谷/坂の上にあった大坂/秀吉が選んだ天然の要害

3 地形歩きの極意
様々な視点で地形を楽しむ/◆高低差エレメント視点/◆アースダイバー視点/
◆スリバチ地形視点/◆路地歩き視点/◆暗渠・川・水路跡視点/◆境界線視点/◆ドンツキ視点

Ⅱ 大阪の高低差を歩く  

大坂のはじまりの地
①上町台地の最先端[ 大阪城 ]
②堀川開削と町の拡張[ 道頓堀 ]
③低湿地と砂州を巡る[ 大阪駅 ]

上町台地の高低差巡り
④丘の上からの夕陽[ 天王寺 ]
⑤自然地形の谷巡り[ 阿倍野 ]
⑥古代地形を巡る[ 住吉大社 ]

水辺の跡に誘われて
⑦堺と古墳の丘[ 仁徳天皇陵古墳 ]
⑧消えた旧中津川[ 十三 ]

古代の海岸線を辿る
⑨スリバチ地形と湧水の丘[ 千里丘陵 ]
⑩大和の玄関口[ 柏原 ]
⑪河内を見守る生駒山地[ 石切 ]
⑫伊丹段丘の崖巡り[ 川西・伊丹 ]

[特別寄稿]皆川典久



大阪の地形を語るにあたり、大阪平野のおいたちや上町台地の歴史はとても重要なので、第1部の高低差概論ではそれらをおさらいしています。あくまで地形を楽しむ本であるため、歴史を深く語っていませんが、わが国のはじまりにおいて地勢的にも重要なエリアであった事を書いています。

第2部の各エリアに関しては、できるだけ多くの写真を取り入れるように心がけました。本当は、もっと写真を入れたかったのですが、紙面の都合上かなりカットしています。最後に、この本は皆川会長と出会っていなければ実現しなかった企画でもあるので、皆川会長にも特別寄稿をお願いしました。

外では何度かお話をしていますが、大阪高低差学会をつくるきっかけは、中沢新一氏の「アースダイバー」であり、中沢新一氏とお会いして「大阪の地形を盛り上げてよ」と言っていただいた言葉です。大阪高低差学会の活動が始まってからは多くの出会いがあり、この様な本を出版させていただくことにも繋がりました。出版というのは、喜びよりも不安の方が大きい気がしますが、それとは別にいろんな人への感謝の気持ちも込み上げてきます。書店に並びましたらぜひ手に取っていただければ幸いです。大阪への愛着をいっぱい詰め込みました。 (新之介)


(※画像は完成品と異なる場合があります)
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↑大阪平野の地形はこれらの古地理図がないと始まらないのでカラーにこだわりました。
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↑大阪のはじまりもここから。この本のはじまりもここから。
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↑もっともっと写真を載せたかったのですが…
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↑仁徳天皇陵エリアとして堺も少しだけ取り上げました。お台場とか。
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↑地元愛のページ。こんなマイナーな場所でも微地形を楽しめます。

【洋泉社のこれから出る本のページ】
 ←立ち読みできますよ!







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