松江歴史館「真田丸」絵図で真田丸を探せ

09:00

先日、松江市で「真田丸」の最古絵図が発見されたというニュースが大きく報道されましたね。( 毎日新聞産経新聞NHKキャプチャー( 毎日産経NHK
昨年も、「浅野文庫所蔵 諸国当城之図」の「真田丸(摂津)」が話題になりましたが、それよりも古い絵図だということで、とても興味深いです。とりあえず我々的には凸凹地図に重ねたらどうなるのかを知りたい。ということで、早速重ねてみました。

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左が新発見の絵図。右が「浅野文庫所蔵 諸国当城之図」の「真田丸(摂津)」です。

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「真田丸(摂津)」の絵図は、1753年とされていましたが、今回の絵図は、元禄年間(1688〜1704)のもののようです。

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浅野文庫所蔵の真田丸に良く似ていますが、北側の曲輪部分や東側の斜面と堀との関係の描写が違う。文字も、曲輪部分には「出丸」とあり、南側の堀には「惣構堀」と書かれています。

大阪城の南惣構堀は、真田丸の北側の谷にあったと考えられるのですが、真田丸の南側の堀にもその惣構堀の名前が使われていたのはちょっと意外でした。

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さて、この地形図は、カシミール3Dで等高線(1m間隔)のみを表記したものです。心眼寺と三光神社は目印です。かつて、北側の谷地形を利用して豊臣大坂城の南惣構堀がありました。

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絵図を重ねてみます。

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透過させるとこんな感じでしょうか。心眼寺の前の道と裏側の斜面を目安に重ねています。西側の斜面も地形に沿って重ねることが出来ましたが、南側の堀はそれらしい地形が見当たりません。完全に埋められたのでしょう。

「新撰増補堂社仏閣絵入諸大名御屋敷新校正大坂大絵図(1691)/国際日本文化研究センター」
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この古地図は1691年のものですが、「真田 曲輪」の文字がわかりますでしょうか。それらしい遺構が残っていたのかもしれませんね。

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これは、明治時代の大阪実測図を重ねています。

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それに重ねるとこのようになります。

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ちなみに現在の地図と重ねるとこのような位置関係。

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航空写真と重ねるとこのようになります。

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地形図を抜くとこのような場所。大阪明星学園のグランドが真田丸と重なります。

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絵図の位置がわかりやすいようにネガにして重ねてみました。

どうでしょうか。
あくまでも、私の感覚で重ねていますので、参考程度にしていただければと思いますが、今回の絵図も現在の地形と重なる部分が多いように思いました。今後、専門の先生方の検証もはじまるかと思います。ますます楽しみなエリアになってきましたね。

(追記)
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町歩きの目安に現在の地図と重ねた地図もアップしておきます。



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春のフィールドワーク・真田丸と南惣構堀の高低差2015.04.21
(募集告知)真田丸の高低差を歩く!大阪高低差学会・春のフィールドワーク2015.03.26

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